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山口地方裁判所下関支部 昭和44年(ワ)29号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔編注〕同旨―長野地松本支判昭四四・八・二八交通民集二巻四号一一八四頁

〔判決理由〕<証拠>を総合すると、

(1) 被告は本件事故当時、洋服店「有限会社第一テーラー」の代表取締役であつた。右会社は下関市幸町に店舗を構え、被告が外交業務を担当し、訴外真辺こと真鍋修明が洋服仕立業務に専従していた。右真鍋は右会社の取締役の地位にあつたが、その実質は被告の個人経営であり、同人は一介の従業員に過ぎなかつた。

(2) 被告は右業務等に使用するため、本件事故車および原動機付自転車一台を所有しており、これらの車両は被告が管理し、真鍋に対してはその私用運転を禁止していたが、事故車を保管する車庫がなくエンジンキーの管理も厳重でなかつたので、事実上右真鍋においてこれを自由に使用しうる状況にあつた。

(3) 被告は昭和四二年一月二一日(土曜日)夕刻、友人と徹夜で麻雀をする目的で右原動機付自転車に乗り店舗を出たが、そのころ事故車は店舗前の路上に駐車してあり、真鍋はまだ店舗内で業務に従事していた。同人は当時下関市丸山町に居住しており、休日以外は毎日右店舗に出勤し、午前九時から午後八時ごろまで稼働するのが通例であつたが、右二一日も特別変つた予定はなかつたので、被告としては同人が午後八時ごろ店舗の戸締りなどをして帰宅するものと思つていた。

(4) 一方、訴外牧紘一郎は下関市貴船町に居住し、同市田中町で原告とともにタイプ印刷業等を経営していたが、同市上田中町居住の訴外孫盛哲と親交があり、時どき他の友人らを含め深夜まで飲み歩くことがあつた。紘一郎と孫は前記真鍋とも交際があり、前記「第一テーラー」で洋服を仕立てたこともあつて、被告にも面識があつた。紘一郎は前記二一日夕刻、終業後一旦帰宅したが、まもなく下関市唐戸方面に行く旨告げて外出した。

(5) 翌二二日午前一時ごろ、孫の運転する事故車は下関駅方面から国道一九一号線を北進中であつたが、下関市稗田町において道路中央線を突破し対向車に激突した。当時事故車には、助手席に真鍋、後部座席に紘一郎および訴外金政寛(下関市上田中町居住)が同乗中であり、対向車は訴外塚本武夫が運転し助手席に田村某が同乗していたが、右衝突の衝撃により、孫、真鍋、田村が即死し、紘一郎、塚本らが重傷を負つた(紘一郎はその後死亡)。

以上の事実が認められ、この認定を左右しうる証拠はない。

ところで、本件においては、事故関係者が死亡または行方不明のため、紘一郎らが事故車に同乗するに至つた経緯に関する直接証拠は得られないが、以上認定の諸事実、ことに被告の事故車利用状況、紘一郎と真鍋、孫らとの関係、同人らの事故車利用時刻・場所・態様等を考えあわせると、反証のない本件では、紘一郎らは前記二一日深夜まで下関市内で遊興したのち、真鍋が被告に無断で乗り出した事故車を利用し、下関市郊外の川棚温泉方面に向け高速ドライブを楽しんでいたものと推認するのが相当である。

そうである以上、本件事故当時においては、事故車は主として紘一郎、真鍋、孫および金の遊興グループの支配下にあり、同人らの利益のために運行の用に供されていたものというべく、かような場合には、紘一郎は他の三名とともに事故車の運行供用者であつて、自賠法三条の「他人」に該当しないものと解するのが相当であるから、被告が右事故においてもなお事故車の運行供用者たる地位にとどまつていたかどうかを判断するまでもなく、被告は紘一郎死亡による損害につき、自賠法三条による賠償責任を負わないものといわなければならない。(谷水央)

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